
レコードプレーヤーの調整の中でも、特に誤解や"神話"が多いのが「インサイドフォースキャンセラー(アンチスケーティング)」です。多くの人が「かけない方が音がいいのでは?」「とりあえず針圧と同じ目盛りで」といった、漠然とした考えで何となく設定しており、調整方法についても様々な情報が溢れています。
この記事では、インサイドフォースが発生する原理から解説し、「針圧と同じ値に合わせる」「溝のないレコードで調整する」といった一般的な調整方法がなぜ不完全なのかを説明します。
その上で、ご自身のシステムに合わせた、より実践的で正確な調整方法を紹介します。
インサイドフォース調整の前提として、まずは正しい「オーバーハング調整」を確認しましょう。
以下の記事で詳しく解説しています。

インサイドフォースとは何か
インサイドフォースが発生する基本原理

インサイドフォースは、オフセット角を持つトーンアーム特有の現象です。
オフセット角がゼロ (F1=F3)のピュアストレートアームや、直線的に動くリニアトラッキングアームでは、この力は原理的に発生しません。
回転するレコードに針を下すと、まず、針先はF1(接線方向)に引っ張られます。
固定されているアームがF1方向に伸びることはできないため、F1の力はF2とF3の2つに分解されます。
F3の力は、アームの支点に対して掛かっていますので、これも動きません。
そのため、内周側に引っ張られる力、F2が発生します。このF2がインサイドフォースです。
インサイドフォースは、トラッキング角の大きさで値が変わりますので、厳密にいえば、内周と外周でも大きさが異なります。
この内周側に引っ張られるインサイドフォースを打ち消すための機構が、インサイドフォースキャンセラー(アンチスケーティング)です。
なぜインサイドフォースは一定ではないのか
インサイドフォースは一定の力ではありません。レコードを再生している間、常にその強さが変動しています。
- 変動要因1 ー 音溝の振幅(音量)
最も大きな変動要因は、音楽信号の大きさです。静かなピアニッシモの部分よりも、オーケストラが強奏するフォルティッシモの部分の方が、針先と音溝の摩擦は劇的に増加します。摩擦が増えれば、インサイドフォースも強くなります。 - 変動要因2 ー レコード上の再生位置
レコードの内周と外周でもインサイドフォースは異なります。これは、アームが内周へ進むにつれてトラッキングエラーの角度が変わり、摩擦力が内側へ分解される力の比率もわずかに変化するためです。ただし、一般的にこの位置による変化は、音量による変化に比べると影響は小さいとされています。 - 変動要因3 ー 針先の形状
丸針とラインコンタクト針では、溝との接触面積や形状が異なるため、発生する摩擦力も変わってきます。
この「常に変動する」という事実こそが、アンチスケーティング調整を難しくしている根本的な原因です。つまり、私たちが目指す調整とは、この変動する力に対する「最良の妥協点」を探す作業です。
トーンアームによっては、固定値ではなく、内周と外周で値を替えることができるモデルもあります。
Vertere - SG-1 Tonearm

Ikeda - IT-345

DUAL - 1249

一般的な調整方法とその問題点
最適な調整方法を知る前に、広く知られている2つの調整方法がなぜ不完全なのかを理解しておく必要があります。
神話1 ー 溝のないレコードやテストレコードの大振幅信号で調整する
溝のないレコード盤に針を置き、アームが動かないように調整する方法は、実際の再生状況を反映しておらず不完全です。溝の中のガイド力がない状態での調整は、実際の再生時とは条件が異なり、アンチスケーティングが過剰になる傾向があります。
同様に、テストレコードに収録されている極端に振幅の大きな信号(チャイコフスキーの「1812年」の大砲の音など)を基準にするのも間違いです。これらの信号は、通常の音楽レコードではありえないほどの大きな摩擦を発生させます。これを基準に調整すると、通常の音楽レコードを再生する際には、アンチスケーティングが常に過剰にかかった状態になってしまいます。
神話2 ー メーカー推奨値やアームの目盛りを信頼する
「針圧2.0gなら、アンチスケーティングの目盛りも2.0に」という方法は、あくまで簡易的な目安に過ぎません。
トーンアームは、内部の配線(リードワイヤー)の引き回し方によって、それ自体が内向きや外向きのトルクを持っていることがあります。メーカーの推奨値は、この個体差を考慮していません。もし、あなたのアームが元々内向きのトルクを持っていた場合、メーカー推奨値を適用するとアンチスケーティングが過剰になります。
「アンチスケーティングをかけない方が音が良い」と感じる場合、そのアームが元々持っている内部トルクが、偶然にも最適なアンチスケーティングの役割を果たしている可能性があります。
アンチスケーティングが0の状態でも、アームが外周方向に引っ張られるケースは割と多くあります。
アンチスケーティング調整の目的と実践
調整の目的 ー 左右チャンネルバランスの最適化
針飛び防止はアンチスケーティングの一つの役割ですが、それは目的のほんの一部に過ぎません。過剰なアンチスケーティングは、むしろ針先の動きを不自然に拘束し、トレース能力を悪化させることさえあります。
調整の真の目的は、針先がどちらか片方の溝壁に押し付けられるのを防ぎ、左右のクロストーク(音漏れ)を均等にすることにあります。これにより、チャンネルセパレーションが改善され、設計通りの正確なステレオイメージが再現できます。
実践的な調整方法
では、どう調整するのが良いのでしょうか。それは、実際に音楽が刻まれたレコードを使い、その「音」を聴いて判断する方法です。
最初にアジマスの調整を行う
事前にヘッドシェルの左右の傾きを調整します。
レコードの音溝はV字型になっていて、内壁(左側)が左ch、外壁(右側)が右chです。
針が音溝に対してまっすぐ下りないと、その時点で左右の音圧差やセパレーション、定位に狂いが生じます。
ヘッドシェルの上が平らな場合は、小型の水準器を置く方法が手軽です。
傷がついても良いレコードを用意して、ヘッドシェルの上に水準器を置き、傾きをチェックします。
水準器の場合は、高さの調整も同時に行えるメリットがあります。
デメリットは、水準器の重さ分だけ針圧が強くなり、カートリッジに負担がかかることです。

ヘッドシェルの上が平らではない場合は、アクリルブロックで調整するのが良いでしょう。
この場合も傷がついても良いレコードを使った方が良いです。
方法1 ー 耳を使った調整
テストレコードがない場合でも、耳を頼りに調整することが可能です。まず、アジマスやオーバーハングなど、他の調整が済んでいることが大前提です。
注目すべき音源とポイント
- シンプルなアコースティック編成(アコースティックギターとボーカル、ピアノトリオなど)や、左右に音が明確に振り分けられた初期ステレオ録音が分かりやすいです。
- センターに定位するボーカルだけでなく、「音像の輪郭」「音場の広がりと奥行き」「音の分離」に注目します。アンチスケーティングが不適切だと、音像が滲んだり、音場が平面的になったりします。
- アンチスケーティングが強すぎるとボーカルは右に寄り、弱すぎると左に寄る傾向があります。この定位と、音場全体の立体感を聴きながら、最も自然に聴こえるポイントを探してください。
方法2 ー テストレコードを使った調整
より正確な調整を目指すなら、テストレコードの使用が有効です。
クロストークの信号が入っていれば、基本的に何でもOKですが、1枚選ぶと、HiFi NewsのテストLPがおすすめです。

調整方法
- テストレコードに収録されている「左チャンネルのみ」のクロストーク信号を再生し、右スピーカーから漏れ聴こえる音の大きさを注意深く聴きます。
- 次に「右チャンネルのみ」の信号を再生し、左スピーカーから漏れ聴こえる音の大きさを聴きます。
- アンチスケーティングの値を調整し、この左右のスピーカーからの「漏れ聴こえる音の大きさ」が、均等になるポイントを探します。
- これが、あなたのシステムにおける物理的に最もバランスの取れた「妥協点」です。
ヘッドフォンを使うと、左右の音漏れの比較がより分かりやすくなります。さらに厳密に追い込みたい場合は、PCに録音して左右の漏れた信号のレベルを比較する方法もあります。

まとめ
アンチスケーティングに、絶対的な正解値はありません。
重要なのは、インサイドフォースが常に変動するという事実を理解し、その影響である「クロストークの左右差」を最小化するという目的意識を持つことです。「針圧と同じ値」「溝なしレコードで静止」といった神話を捨て、ご自身の耳と、(あれば)テストレコードを信じて調整してみてください。
あなたのシステムにとっての「最良の妥協点」を見つけ出すことが、アナログ再生の質をもう一段階引き上げる、最も確実な方法です。
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