クリュイタンスのレコードの中でも、これは特殊な一枚です。
深い信頼関係にありながら、なぜか録音が少なかったアンドレ・クリュイタンスとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。その名コンビによって珠玉の名曲が集められたオムニバス盤です。
本作は既出の作品の寄せ集めではなく、このレコードのために収録された、ここでしか聴くことのできない音源です。
André Cluytens – Popular Movements From The Symphonies
HMV - ASD 304

本作に収録された音源はすべて、1958年12月にウィーンのムジークフェラインザールで集中的に録音されました。指揮はアンドレ・クリュイタンス、そして管弦楽はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団という、極めて贅沢な組み合わせです。
フランス音楽の巨匠として知られるクリュイタンスですが、ベートーヴェンの交響曲全集をベルリン・フィルと完成させるなど、ドイツ・オーストリア系のレパートリーでも高い評価を得ていました。しかし、ウィーン・フィルとの録音は非常に数が少なく、その点だけでもこのレコードの希少性がうかがえます。
ステレオ録音が本格的に始まったばかりの1959年にリリースされた本作は、新しいオーディオ技術の魅力を幅広い層に伝えるための、当時のEMIの戦略的な企画盤だったと考えられます。有名な楽章だけを抜粋するという構成は、クリュイタンスのディスコグラフィー全体から見てもユニークな存在です。
HMVのASDシリーズ、特に初期の「ホワイト・ゴールド」ラベルで知られる盤は、オーディオファイルの間で非常に高く評価されています。本作も例外ではありません。
1958年の録音から65年以上が経過した今聴いても、その音質は十分通用します。
ムジークフェラインザール特有の豊潤な響きと、ウィーン・フィルの絹のような弦楽器の質感を上手に捉えています。最新音源のようなSNの高さ、レンジの広さとは異なりますが、ステレオ初期ならではの生々しい空気感、そして当時の熱量を感じることができます。
演奏そのものはどうでしょうか。
率直に言って、ここに収められた演奏が、それぞれの楽曲における決定的名演かと問われれば、微妙と言わざるを得ません。例えば、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の第3楽章では、より劇的な高揚感を求める聴き手には、少し物足りなく感じられるかもしれません。
このレコードの価値は、個々の演奏の極致を追求する点ではありません。
クリュイタンスの指揮は常に端正で、いたずらに感情に溺れることなく、楽曲の構造を明確に描き出します。特にベートーヴェンの交響曲第5番の引き締まった冒頭や、第8番の軽快な足取りには、確かな造形力を感じることができます。
何より、ウィーン・フィルという世界最高峰のオーケストラが奏でる優雅で美しい響きを、様々な作曲家の名曲で気軽に楽しめるのが本作の大きな魅力です。
本作は単体の名演・名録音として語るよりも、その成立の背景を含めて評価すべき一枚です。

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