Audiofon ─ レーベル名からして良い音がしそうです。デジタル録音が普及し始めた1980年代にあっても、アナログ録音にこだわり続けたレーベルで、ピアノ独奏作品を中心にリリースしていました。本作は同レーベルを代表する1枚であり、Stereophile誌が1983年1月の優秀録音に選出したことでも知られています。
Earl Wild - The Art of the Transcription: Live from Carnegie Hall
Audiofon - 2008-2(LP)
Audiofon - CD 72008-2(CD)

1981年11月1日、ニューヨーク・カーネギー・ホール。20世紀最後のロマン派ヴィルトゥオーゾと称されたピアニスト、アール・ワイルド(1915-2010)が「トランスクリプションの芸術」と題したリサイタルのライヴ録音です。プログラムはバロックからロマン派まで、グルック=ズガンバーティの「精霊の踊り」に始まり、タウジヒ編曲によるバッハのトッカータとフーガ ニ短調、モシュコフスキ編曲のワーグナー「イゾルデの愛の死」、そしてシュルツ=エヴラーの「美しく青きドナウによるアラベスク」で締めくくられる、編曲芸術の粋を集めた構成です。
プロデューサーはジュリアン・H・クリーガー、エンジニアは高音質録音で名高いピーター・マクグラスが担当しています。オリジナルLP盤は1982年にリリースされた2枚組で、純粋なアナログ録音・ミキシング・カッティングによるAAA仕様。マスタリングは名匠ボブ・ラディック、プレスはニューヨークのEuropadiskが手がけており、当時からオーディオファイルの間で大きな話題となりました。
手元にはLPとCDどちらもあり、それぞれ2枚組です。レコードは当時のデッドストック未開封品を入手しましたが、残念ながらプチプチノイズが多めでした。本作は客席の咳払いなど会場の暗騒音もそのまま収録されているため、レコードのノイズと録音ノイズの区別がつかなくなる場面もあります。
このレコードの最大の魅力は、圧倒的な「実在感」です。広大なホールの空間が眼前に広がり、ステージ中央のボールドウィン・ピアノの響きが、聴き手のためだけに奏でられているかのような感覚をもたらします。これはマクグラスが目指した「音楽が鳴っている空間そのものを捉える」という録音哲学の賜物でしょう。ピアノの直接音だけでなく、ホールの豊かな残響や空気の振動まで見事に収録しており、過度な加工のないダイナミックレンジの広さが、聴く者を演奏の場へ引き込みます。マクグラスの録音は総じて空間表現に優れたものが多く、本作はその代表格です。
CDはLPのような実在感こそ薄まりますが、弱音時の情報量を確認するには最適なソースです。会場の暗騒音に含まれる微細な音数をチェックする用途にも使えます。ハイエンドDACであっても、こうした背景の音が塗りつぶされてしまう製品がありますので、機器の実力を見極めるテストソースとしても重宝します。
ワイルドはフランツ・リストの孫弟子にあたる系譜を持ち、トランスクリプションという芸術形式の正統な後継者でした。情緒的・詩的な世界観とは異なる、もうひとつの完成された音楽世界がここにあります。完璧な技巧に裏打ちされながらも、即興的な温かみと気品に満ちた演奏は、「ヴィルトゥオーゾ」という言葉が持つ本来の意味を再確認させてくれます。