ハリウッドのトップ女優が、ジャズの巨人と共に録音した一枚のアルバム。それは単なるスタンダード集ではなく、世間の酷評を覆すために、彼女自身が企画し、作り上げた「意志の記録」でした。
Cybill Shepherd - Mad About The Boy
Les Disques Du Crepuscule - twi470

1975年公開のミュージカル映画「At Long Last Love」。
この映画で主演と歌唱を務めたシビル・シェパード (Cybill Shepherd) は、批評家から「歩くことも、話すことも、ましてや歌うことなどできない」とまで酷評されてしまいます。女優として順風満帆のキャリアを歩んでいた彼女にとって、それは大きな屈辱でした。
しかし彼女は、その逆境をバネに、自らの歌唱力を証明するプロジェクトを始動させます。それが、このアルバムの制作です。
共演者に選んだのは、ジャズ・テナーサックスの巨人、スタン・ゲッツ (Stan Getz)。シェパード自身がゲッツに直接連絡を取り、共演が実現したという事実は、彼女の並々ならぬ決意を物語っています。さらに、彼女は自らプロデューサーとしても名を連ね、アレンジャーにはブラジル音楽の才人オスカー・カストロ・ネヴィス (Oscar Castro-Neves) を迎えるなど、万全の布陣で録音に臨みました。
しかし、この傑作が世に出るまでの道のりは平坦ではありませんでした。1976年に録音されながら、最初のリリースは4年後の1980年、米国のジャズ専門レーベル、インナー・シティ・レコード (Inner City Records) から。
そして、その6年後の1986年、ベルギーのクレプスキュール (Les Disques Du Crépuscule) から再発されます。同レーベルは、ジョセフK (Josef K) やポール・ヘイグ (Paul Haig) に代表されるポストパンクやニューウェーブの先鋭的なアーティストを多く抱えており、シェパードのジャズ・アルバムは明らかに異質な存在でした。
このリリースの背景には、レーベル創設者のミシェル・デュヴァル (Michel Duval) らが、シェパードをアーティストとして評価していた事実があります。これはヨーロッパの目利きによる「再発見」であり、本作が単なるジャズ・アルバムにとどまらない、普遍的な魅力を持つことの証明です。
そのリリース経緯からネオアコの文脈で語られることもありますが、本質は豪華な布陣で制作された、良質なジャズ・ヴォーカルアルバムです。
有名な作品なので、レコードでも入手しやすいと思います。
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