[Eterna 826 079] ジークフリート・ラップ (Siegfried Rapp) - ラヴェル & ノウカ: 左手のためのピアノ協奏曲

ピアニストにとって、その生命線ともいえる腕を失うことは、キャリアの終わりを意味する絶望的な宣告に他なりません。しかし、その悲劇を乗り越え、残された左手だけで音楽を奏で続けた音楽家たちがいました。

このレコードは、まさにその不屈の魂が刻まれた一枚です。

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Siegfried Rapp - Ravel & Nowka: Piano Concerto for the Left Hand

Eterna - 826 079

Eterna 826 079

このレコードには、二つの「左手のためのピアノ協奏曲」を収録しています。

A面は、モーリス・ラヴェル (Maurice Ravel) が1930年に作曲した有名な協奏曲ニ長調です。この作品が、第一次世界大戦で右腕を失ったオーストリアのピアニスト、パウル・ヴィトゲンシュタイン (Paul Wittgenstein) のために書かれたことは広く知られています。

この歴史的背景を持つ作品を、本作で演奏するピアニストがジークフリート・ラップ (Siegfried Rapp) です。1917年に生まれた彼は、ライプツィヒ音楽院で才能を嘱望された後、第二次世界大戦に出征。1943年の東部戦線で榴散弾を受け、ピアニストとしての生命線であった右腕を失いました。しかし彼は絶望せず、左手のみで演奏活動を再開。奇しくもラヴェルの協奏曲が捧げられたヴィトゲンシュタインと同じ運命を背負った彼がこの作品を演奏することには、単なる楽曲解釈を超えた、あまりにも深い説得力が宿ります。

B面は、日本ではほとんど無名の作曲家、ディーター・ノウカ (Dieter Nowka) が1963年に作曲した「左手のためのピアノ協奏曲 Op.71」です。1924年、東ドイツのバウツェンに生まれたノウカは、社会主義体制下で活動した人物。その作品は、ラヴェルの洗練されたジャズの語法とは全く異なり、同時代のショスタコーヴィチを思わせる厳しく引き締まった響きと、時折見せる新古典主義的な表情が印象的です。この録音が行われた1970年当時、まさに「鉄のカーテン」の向こう側で鳴り響いていた音楽の生々しい記録です。

これら二つの全く異なる世界観を持つ作品を力強くまとめ上げているのが、指揮者クルト・マズア (Kurt Masur) とドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団です。マズアがこのオーケストラの首席指揮者を務めていたのは1967年から1972年。この録音は、彼らの関係が最も充実していた時期の貴重な記録であり、ラップの強靭なピアノを支える重厚かつ緻密なオーケストレーションは見事です。

そのサウンドは、豊かなホールトーンというよりは、各楽器の輪郭を明瞭に捉えた、ややドライで実直なもの。このクリアな音質が、ラップの驚異的な技巧と作品の構造を、余すところなく聴き手に届けてくれます。

ラヴェルの協奏曲には数々の歴史的名盤が存在し、それらと比べてこの演奏が突出しているわけではないかもしれません。しかし、この一枚の真価はディーター・ノウカの協奏曲にあります。東ドイツの厳しい時代を反映した緊張感の中に、小気味よいリズムと分厚いオーケストラの響きが一体となった音楽は聴き応え十分。この知られざる傑作との出会いこそ、このレコードが持つ最大の魅力でしょう。

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