Jonatha Brooke & The Story

90年代初頭から活動していたようですが、彼女たちの存在を知ったのはかなり後になってからです。ネオアコでは無いですが、世界観としては通じるものが有ります。

大学の新入生として出会った二人は、大学のアカペラグループやドゥーワップグループで共に歌う中で、音楽的な絆を深めていきます。
特にアカペラグループのオーディションでは、二人の声のブレンドが素晴らしかったために共に合格し、ソプラノセクションを担当しました。これが、彼女たちの原点とも言えます。

当初、二人は「Jonatha and Jennifer」というシンプルな名前で活動を開始し、Brookeが書いたオリジナル曲を披露していました。
この時期に、後の代表曲となる「Always」や「Over Oceans」の原型が生まれています。

大学卒業後、二人は一度それぞれの道を歩みます。Brookeはダンスカンパニーに、Kimballはグラフィックデザイナーとして出版社に就職。
しかし、音楽への情熱は消えることなく、散発的にギグを続けます。そして1989年、二人は音楽活動を本格化させる決意を固めるのです。  

1989年から1994年までと短かい活動期間の中で2枚のアルバム、Grace in Gravity(1991年)とThe Angel in the House(1993年)を残しました。

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Jonatha Brooke & The Story

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デビューアルバムGrace in GravityがGreen Linnet Recordsからリリースされました(右上)。

このアルバムは、デュオの拠点であるボストンで大きな成功を収め、複数の地元音楽賞にノミネートされるなど、高い評価を獲得。この成功はすぐにメジャーレーベルの関心を引き、Elektra Recordsがデュオと契約。翌1992年に同アルバムがElektraから再発されました(左上)。

タイトルトラック「Grace in Gravity」ー この曲は、アパルトヘイト時代の南アフリカで実際に起きた悲劇に基づいています。
ある黒人のバレエダンサーが自動車事故に遭った際、救急隊員は、より軽傷だった白人の同乗者を白人専用の病院へ優先的に搬送。その結果、治療が遅れたダンサーは半身不随に。

この人種差別という重いテーマを、優美なメロディに載せて描き出して強烈な印象を与えました。他の曲もアカデミックで文学的志向が強いです。

1993年にリリースされたセカンドアルバムThe Angel in the Houseは、19世紀の詩人コヴェントリー・パトモアが1854年から1862年にかけて発表した同名の詩に由来します。

この詩は、自己を犠牲にし、家庭に尽くす従順な女性像をヴィクトリア朝時代の理想として称賛したものです。しかし、この「家庭の天使」という理想像は、後に作家ヴァージニア・ウルフによって痛烈に批判されます。ウルフは、女性作家が真の自己表現を達成するためには、まず「家庭の天使」を殺さなければならないと論じました。

彼女たちの音楽はストレートなフォークポップから、より入り組んだジャズやワールドミュージック、不協和音を取り込みました。
ジョニ・ミッチェルのHejiraとの比較されることもあります。

解散後。

1994年の解散後、Jonatha Brookeは間髪入れずにソロ活動を開始し、現在まで多くのアルバムをリリースしています。
Jennifer Kimballも、シンガーソングライターとして活動しています。

いずれも、デュオのときの魔法は無くなってしまったように感じます。熱心には追いかけていません。

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