モダン楽器による力強く輝かしいバッハ演奏が主流であった1977年、常識を覆す一つのレコードが世に問われました。本作は、ピリオド楽器による演奏が一般的になる遥か以前に、あえて「原点の響き」でこの金字塔に挑んだ画期的な録音です。
今でこそ古楽器を使ったバッハの作品は珍しくありませんが、その先駆けといってもよいと思います。
Sergiu Luca - Bach: Sonatas & Partitas for Solo Violin
Nonesuch - HC-73030

1669年製のアマティを使用。
この3枚組の全集LPは、ルーマニア出身のヴァイオリニスト、セルジュ・ルカが米ノンサッチ・レーベルに残した、不滅の金字塔です。優秀録音の多いレーベルです。この作品も地味ながら丁寧な録音です。
特筆すべきは、モダン楽器ではなく、1669年製のニコロ・アマーティをバロック仕様に戻し、当時の様式の弓を用いて全曲を録音した点です。これは、バッハの無伴奏全曲盤としては世界初とされ、リリース当時は音楽界に大きな驚きをもたらし、「スキャンダラスな成功 (succès de scandale)」とまで評されました。
録音のプロデューサーやエンジニアに関する詳細なクレジットが見つからず詳細は不明です。本作がリリースされた時期のノンサッチは、テレサ・スターン (Teresa Sterne) という優れたディレクターが先進的な録音プロジェクトを次々と世に送り出していました。このルカによる歴史的録音も、彼女が関与している可能性はあります。
ガット弦ならではの、鋭すぎず芯のある柔らかな音。現代の演奏とは一線を画す、温かみのある音です。
ルカの演奏解釈もまた、この録音を特別なものにしています。彼は、バッハが楽譜に記した多声的な書法を、和音の響きとして垂直に捉えるのではなく、複数の旋律が水平に絡み合う「線」の音楽として表現しました。
後の研究では、ヴィクトリア・ムローヴァ (Viktoria Mullova) やイザベル・ファウスト (Isabelle Faust) といった現代のトップ奏者たちの演奏の源流に、このルカの録音を位置づけるものもあり、その歴史的な重要性が再評価されています。
ふだんはモダンの作品を好んで聴いていますので、最初にこのレコードを聴いたときはずいぶん地味だなと感じました。全集を通しで聴いていると、耳がなじんだのか、2枚目後半あたりからその世界観に引き込まれるような感覚になりました。
当時の楽器を使い、当時の演奏スタイルを模索し、今に再現するというスタイルは1つのアプローチとしては正しいようにも感じますが、それでもモダンの演奏の方に魅力を感じます。
現在の世界にバッハが生きていたとしたら、どちらのスタイルを選択するだろうか?
とぼんやり考えることがあります。
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